鈴鹿市について

鈴鹿市について
モータースポーツのあゆみ

▼鈴鹿市について▼鈴鹿市は、日本のほぼ中央・三重県の北部に位置し、東に伊勢湾、西に鈴鹿山脈をひかえた自然環境の中、歴史と文化に恵まれた都市です。1942(昭和17)年12月、2町12村が合併し、人口約5万2千人から出発した鈴鹿市は、自動車産業など数多くの企業を誘致し、伊勢湾岸地域有数の内陸工業都市として発展してきました。 また農業の分野においても、茶、花木をはじめ水稲などの生産が盛んで、農業と工業がともに成長した「緑の工都」として現在に至っています。さらに近年では、国際交流や市民文化の向上に力を入れ、産業、経済、文化、市民生活などあらゆる面から調和のとれた発展を続け、国際的な観光都市としても知られています。 [総面積194.67km2/人口203,779人] 2008(平成20)年1月31日現在市民憲章1 自然を愛し 緑豊かなまちをつくります。 1 互いに助け合い あたたかいまちをつくります。 1 健康に心がけ 生きがいのあるまちをつくります。 1 教養を深め 文化の香り高いまちをつくります。 1 郷土を誇り 力づよいまちをつくります。

▼モータースポーツのあゆみ▼
戦後、多くの企業が進出して工業都市をかたちづくった鈴鹿市。そんな企業の中に、当時世界最高の二輪レース“マン島TT”の制覇や“スーパーカブ”の大ヒットなど、飛躍的に成長しつつある企業、ホンダ(本田技研工業株式会社)がありました。同社が鈴鹿に工場だけでなくサーキットを建設することになったのは、創業者・本田宗一郎氏の「クルマはレースをやらなくては良くならない」の一声だったといいます。1962(昭和37)年に完成した鈴鹿サーキットでは数々の国際レースが開催され、世界の走りが観客や関係者を驚かせました。レースできたえられた技術が市販車に生かされ、わが国の車やバイクはめざましい進歩をとげます。そしてモータースポーツを愛する人々も増加。走りたい者、マシンを造りたい者が鈴鹿に集まり、“モータースポーツのまち・鈴鹿市”が生まれました。
'70年代には現在につながる大きな動きがあります。四輪はフォーミュラカーの人気上昇、二輪は久々の国際レース・8耐のはじまりと大反響です。この盛り上がりを受けて'80年代には、市とモータースポーツの関わりが一層強くなります。8耐が大観衆を集め、官民一体となった受入れなど、市を挙げての取り組みが定着しました。このノウハウは、1987(昭和62)年からF1受入れにも生かされました。
また、多くの国際レースの開催は、SUZUKAとしての国際的な認知度を高め、「国際交流都市」構想やル・マン市との友好協力協定など、国際的な視野に立った動きにつながりました。
こういった歴史を積み重ね、鈴鹿市は「モータースポーツ都市宣言」を行うに至ったのです。

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